「センセー授業が聞けません」【We are 聞けない人】
私は一対多において聞く能力が低く、学校の授業が15年間全く理解できないまま学生生活を送ってきました。
たしかに私はほぼ全ての学習を書物による独学で暮らしています。(ただし一部1対1の教授もあります。)
学習サロンを経営していて気付いたのは、成績の低い人の中に「読めるけど聞けない人」というのが一定数いるということ。
そして、彼ら彼女らの成績が伸びていないのは「教育機関においては十分な書物が提供されていないから」ということでした。
実は比較的多数派である「聞ける人」は読むよりも聞く方が早いため、学校などは「読みやすい教材」ではなく「聞きやすい授業」を重視しているのです。(ですよね?先生方。)
これはある意味では正しい選択ではありますが、結果的に少数派である「読める人」は学校では不利になります。(先生方を責めているわけではありません。状況はわかります。。)
確かに我々は障害を感じています。
が、私からすると「むしろ独学でできない人は学習障害ではないの?」と言いたくなる気持ちもあります。
「『障害』というのは社会の側にあるもの。」だとか文句を垂れていても仕方ありません。
変えるしかないです。
研究などで活躍しているのは圧倒的に「読める人」です。
つまり、日本は多大な損失を生み出しているのではないでしょうか。(言い過ぎか、、、)
私はこの犠牲になっている「読める派」の人間の成長できる環境づくりがしたいのです。